歌は世につれ、世は歌につれ

年を取ってくると、青春時代に流行った流行歌よりも、中学校までの子供時代にラジオから流れていた流行歌の方を鮮明に覚えている。

デレビなどなく、娯楽と言えば貸本屋からマンガを借りて読むか、ラジオで歌謡曲浪曲、漫才、鞍馬天狗赤胴鈴之助など子供向けの番組を聴くぐらいしかなかった時代だから、歌謡曲の占める役割は大きかった。

特に思い出すのは、宮城まり子の「ガード下の靴みがき」だ。この歌を聴くと、戦後間もないため、空襲で鉄骨だけになってしまった赤茶色の工場跡や、川沿いに並んだ土管の中に人が住んでいる情景や、腕や足を戦争で失った戦傷者が道端で物乞いをしている姿、配給所で配給米を受け取るために並んでいる人達の姿が今でもまざまざと思い浮かぶ。

また、東海林太郎の「赤城の子守唄」、渡辺はま子の「蘇州夜曲」「シナの夜」など、戦前流行った流行歌も健在で、両親共々ラジオの前に座って聴いたものだ。

少し世の中が落ち着つき、砂糖など甘い物が多く出回り始めた頃に大流行したのが、春日八郎の「お富さん」だ。まさに、何処に行っても、何処を歩いていてもこの歌がラジオから流れており、「いきなくろべえ~、みこしのまあ~つに・・・・」と歌いながら遊び回ったのを覚えている。

そういえば、美空ひばりの「悲しき口笛」「東京キッド」「越後獅子」「私は街の子」なども流行っていたが、年の割には大人びて、こましゃくれた感じがしていたので、子供ながらも余り好感が持てなかった。それが後に、国民栄誉賞を受賞するなど国民的な大歌手になろうとは、当時は夢にも思わなかった。

むしろ、可憐で清純な感じの島倉千代子のほうが好きだった。「からたち日記」「東京だよおっ母さん」などは良く歌ったものだ。

しかし、美空ひばりも、塩酸事件、兄弟の不祥事、NHKの紅白落選、母親の死など数々の辛酸を舐め、その都度、人間的に成長して行き「川の流れのように」「悲しい酒」など、数々の名曲を生み出していったが、七色の声と称賛されたこのような大歌手は、もう二度と出ないだろう。

その他、三橋美智也の「リンゴ村から」「哀愁列車」、村田英雄の「王将」、橋幸夫の「潮来傘」、水原弘の「黒い花びら」、石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」「錆びたナイフ」など、数え切れないほどの歌が次から次へと思い浮かぶ。

当時は、これが当たり前だと思っていたが、今から考えれば、このような思い出の歌を沢山持っている団塊世代は、つくづく幸せだったんだなと感謝する今日この頃である。

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